プロフィール

井村尚嗣(いむらたかし)
1962年(昭和37年)4月24日生まれ
山口県長門市出身
広島市在住
明治大学文学部卒

経歴

【山口県立大津高校時代】
関西テレビの桑原征平アナを見て、喋りの世界を志す。氏の体当たりリポートや、
心をつかまれる温かで飾らない語り口に、それまで抱いていたアナウンサーのイメージが大きく転換することに。『こういう仕事に就きたい』と密かに誓った
十代のある日だった。

【明治大学時代】
バンカラな校風に憧れ入学を果たし、4年間アメリカンフットボールに打ち込む。
先輩からの理不尽な【かわいがり】に耐え、精神的に強くなった。
生涯の関係を築き、現在もなお親しくお付き合いさせていただく。

就職を意識し始めた頃、東京・恵比寿にある【東京アナウンスアカデミー】入校。
この頃、当時憧れの森本レオ氏と電車内で遭遇したことで運命的なものを勝手に感じ、真剣に『喋り』の道を志すのだが・・・
アカデミー時代は、アナウンサー予備軍のエリートたちとの力量差は如何ともしがたく【劣等生】の烙印を押され、負けん気に火が付く。
(とはいえ、特に技術が向上したわけではない。)

4年生の春、タイミングとご縁をいただき、広島ホームテレビの内定をいただく。
卒業について不安があったが、なんとか単位ギリギリで卒業を果たす。
【広島ホームテレビ入社後(1986年~2000年頃)】
アナウンサーとしての入社ではあったが、そこは人員不足のローカル局。
報道取材から編集・制作までこなす【なんでも屋】としてキャリアをスタート。
(以後、退社まで結局なんでも屋気質は変わらず)

入社1年目より高校野球広島大会の実況をはじめ、各種スポーツの実況に取り組む。プロ野球中継はもとより、空手、柔道、バスケット、アイスホッケーからフィギュアスケートまで。


夏は高校野球に没頭


カープ取材で東奔西走の時代


プロ野球中継の放送席で国貞氏と

当時の【ニュースステーション】の売りの一つが『どこよりも早いスポーツニュース』…取材から出稿、球場からダッシュで帰社し、生放送対応など一人でこなす日々。試合が続いていれば生電話リポートなど何でもやった修行時代。

以降、【書く】【作る】【読む・しゃべる】の3点セットを仕事の基本とし、様々な番組制作に関わる。中でも、夏の高校野球の時期には、朝から晩までしゃべり倒し、【速報!甲子園への道】のOAが終わる深夜まで、まさに寝る間も惜しんで取り組んだ。

その間、広島県では様々な重大事件や事故、自然災害が幾度となく起きたが、
『行かせてくれ!』の一点張りで現場リポートへ赴き、経験を積む。


2003年Jステーション開始


渡辺美佳アナと


ホプキンス氏宅にて

【(Jステーション→地球派宣言→そして…)】
2003年、夕方の新情報番組【Jステーション】の初代司会者に。週五日の帯番組なんて持たされるのが初めてで、毎日OA前は極度の緊張。以後この番組には3年と9か月関わることになる。この頃になると、やっと世間の皆様にも顔を覚えていただけるようになった。

が・・・2007年の人事異動でついにテレビの現場を離れることに。

そして2009年、広島ホームテレビの環境保全キャンペーン【地球派宣言】を展開する部署へと異動。お客様へのセールスの傍ら、再び現場の仕事に関わる。
自然の素晴らしさや、一方で突きつけられる環境問題などを伝えるため、多くの取材と番組制作に取り組む。主な担当番組は

 2009年【乾きゆく大地】(ロケ地・ケニア)
 2011年【ボニンブルーの海へ】(ロケ地・小笠原諸島)
 2012年【星が降る国から】(ロケ地・ニュージーランド)
 2013年【ゾウの涙】(ロケ地・スリランカ)


2009ケニアロケ


2011小笠原ロケ(母島にて)


2012ニュージーランドロケ

また、取材者目線で環境問題にアプローチする講座【巡回スクール・エコガク】の講師として、延べ100か所以上の学校や企業でお話をさせていただいた。
2013年、営業系のセクションに異動となるが、翌年にスタートした、カープにまつわるディープなエピソードを綴る番組【鯉のはなシアター】のナレーションを担当させていただいたことが転機となる。

20年以上模索してきた、自分の喋りのベースとなるものがなんとなく掴めはじめ、同時に、『もう一度この世界を目指した原点に戻りたい』との思いが日に日に強くなっていき、退職と独立を決意。

現在に至る ―

株式会社Office T-Work
広島市中区本川町三丁目1番5号